知の望遠鏡

文系教師と理系研究員の本の紹介を中心としたブログです。

自らを改変する道具を手にいれたヒト。ー『ゲノム編集とは何か DNAのメス クリスパーの衝撃』ー

ゲノム編集とは何か 「DNAのメス」クリスパーの衝撃 (講談社現代新書)

ゲノム編集技術「CRISPER/cas9」をヒトは使いこなせるか?
 
 遺伝子組み換え技術によって我々人間の文明が成り立っていると言っても過言ではない。毎日食べる食物は天然物以外全て(広義の意味で)遺伝子組換え食品である。
 なぜなら我々の先祖が長い年月をかけて、作物や家畜を品種改良したものを食べているに過ぎないからだ。つまり、農業・畜産の歴史は人間が膨大な時間をかけて行ってきた遺伝子組換えの大実験の歴史でもあるのだ。人類が農耕を始めてから数千年という時間をかけて動植物の遺伝子組み換えをひたすらやり続けた。
 
 だが、自然任せによる品種改良は如何せん効率が悪い。
バイオテクノロジーによる従来の遺伝子組み換え技術は品種改良の効率を上げることになったが、かなり大雑把なものであった。ある程度は人為的に狙った遺伝子の改変を行うことを可能としたが、成功率は数%にも満たないのが現実であった。
 
 近年、ノーベル賞候補として注目を集めているゲノム編集技術「CRISPER/cas9」がある。この技術は従来の遺伝子組改変技術をはるかに凌ぐものであり、遺伝子の本体であるDNAを効率よく正確に編集することを可能とした革新的技術である。
 
 ゲノム編集技術「CRISPER/cas9」の特徴は以下の通り。
詳細なゲノム編集のカラクリについては本書で確認を。
 
・遺伝子の狙った部分(塩基)を正確に編集できる
→編集法:遺伝情報の削除、修正、挿入など。
・高い遺伝子編集効率~数10%(従来法比~数%)。
・技術習得が簡単。高校生でも2週間程度で習得可能。
 
この革新的技術は食品、農業、医療の分野で存分に力を発揮し、難病を治療し、より良い作物を生み出せる一方で、我々に新たな問題を突きつけるのだ。
 
そう、『デザイナーベビー』の問題である。
 
神の領域へ:デザイナーベビー 強化人間
 
 原理上、自分たちの都合の良いようにゲノムを書き換えることのできる「CRISPER/cas9」は致死性遺伝病や難病治療の枠を逸脱し、親の思い通りの外見、運動能力や知性を備えた子供(デザイナーベビー)を人間の手で作り出せてしまう技術でもある。
 知能、身体能力を強化した人間、つまりは、SFの中に出てくるニュータイプなどといった強化人間が現実のものとなってしまう未来もそう遠くはないのである。
 
 現在、臨床面でのヒト胚へのゲノム編集は国際的に禁止されている(研究面ではやっても良い)が、非常にアンバランスな状況であり、専門家ですらこの技術をどう扱って良いのか持て余している。革新的すぎるこの技術に対し、我々の倫理観や規制が追いついていない問題がある。
 
 リスクのない絶対安全な技術なんてものはない。ゲノム編集技術「CRISPER/cas9」は社会に大きな恩恵をもたらす一方、遺伝子改変による予期せぬ副作用が引き起こされるリスクがつきまとう。リスクがあることを承知し、そのリスクを最小限に抑え制御しながら技術を使いこなすことが重要だ。
 
 人間にとって非常に便利な技術であるが、自然の摂理に反しているのも事実である。そもそも「CRISPER/cas9」のシステムはバクテリアの免疫システム(感染したウイルスゲノムの削除)の応用であり、バクテリアとしても遺伝子改変に転用されるとは思っても見ないことだろう。果たしてヒトにゲノム編集技術のリスクコントロールができるのか否か?十分に吟味し、議論していく必要があると思う。
 
 本書はゲノム編集技術に関する解説書であり、この新技術に関するルール作りや議論をしていく上での十分な知識と情報を提示してくれる良書である。

 

現代の「スマホ禍」~新しい道具との付き合い方を考えよう~『文字禍』

文字禍

 

中島敦 文字禍青空文庫リンク)

 

私の好きな作家の一人に中島敦がいる。

出会いは、中学時代に読書感想文で、彼の代表作『山月記』を読んだ時だ。

文体が漢文調で難しかったが、内容に引き込まれた。

人生で折に触れて読み返し、私の人生に大きな影響を与えた一冊である。

今では、現代の李徴を自認するまでになり、虎予備軍である。

 

また、中島敦の人となりも好きである。

彼の家は代々、漢文学者の家系で東京帝国大学に進学した。女子高の国語の先生をしながら小説を書き続けた。古典を下敷きにしながら小説化した短編作品を多く著した。しかし体調を崩し辞職。教職には復帰せず、南洋庁の教科書編纂係としてパラオに赴いた。そこで変な病気をもらい帰国。33才で若くしてなくなってしまった。

好きなポイント

・学歴の割に人生がふるっていないところ。

・夢破れて教員になった「でもしか先生」

・優れた作品を書きながらも同時代に似たような作風で活躍していた芥川龍之介の影に隠れてしまっているところ。

・もっといい写真はなかったのかと思うほどのキテレツの勉三さんみたいな外見。

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なんか自分と重なるところも多すぎて、とても親近感を感じるのだ。

 

で、今日の紹介する本は、あえてメジャーな山月記ではなく、山月記と同時に発表された『文字禍』。山月記が有名すぎて影に隠れがちだが、中島敦を語るには忘れてはいけない名作。(彼の人生的にもこれを紹介すべきだと思った)

 

短編ですぐ読めてしまう作品だ。青空文庫だから無料。読むのが難しいならYoutubeの朗読動画でもいい。ぜひ、読んで(聞いて)みてほしい。

 

内容の説明(ほとんどネタバレ注意)

主人公の古代アッシリアの学者ナブ・アヘ・エリバ博士。国王に命じられ、「文字の精霊」を探すことになる。博士は、図書館にこもり文字を見つめ続けると、文字がバラバラになることを見えることを感じる。博士は文字のまとまりを感じさせるものとして、「文字の精霊」を見出したのだ。次に博士は、文字の精霊の人間に対する働きを知るために、街に出て最近になって文字を覚えた市民に「何か変わったところはないか」と聞く。そこで出てくるのは、文字を覚えて目が悪くなった、足腰が弱くなった、物覚えが悪くなった、見た目が悪くなったなどマイナスの話ばかり。そして、博士はこう結論づけた。

「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺まひセシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」

博士は、国王に文字の危険性を訴えた。しかし、一流の文化人でもある国王は機嫌を損ね、自宅謹慎を命じられた。そして数日後・・・

 ニネヴェ・アルベラの地方をおそった地震だいじしんの時、博士は、たまたま自家の書庫の中にいた。彼の家は古かったので、かべくず書架しょかたおれた。夥しい書籍が――数百枚の重い粘土板が、文字共のすさまじいのろいの声と共にこの讒謗者の上に落ちかかり、彼は無慙むざんにも圧死した。

 

 いやー、いろいろと考えさせられる作品ですよ。いわゆるゲシュタルト崩壊とか、文字を覚えることの有害性とか。あと、本に押しつぶされて圧死とかいう学者的には腹上死的だよね、とか。

 これだと感想としてひどいので、何かまともなことを語ろう。

文字禍における文字を「スマホ」に置き換えてみても面白いかもしれない。ナブ・アヘ・エリバの文字への批判指摘は、そのまま現代のスマホへの批判になってしまう。

 自分が子どもの頃は「ゲームをすると馬鹿になる」と言われたし、自分の親の世代は「漫画を読むと馬鹿になる」といわれたという。明治時代を遡れば、新聞を歩きながら読むのが危険だとか、どっかで聞いた話だ。

 新しい「便利な道具」の登場は、いつ時代も有害性を強調されるものだ。文字もある意味、当時では新しい道具だろう。

 批判するのは勝手だけれども、新しい道具をなくすことはできない。「自然に帰れ」といっても原始時代に戻れるわけではない。我々に必要なのは、害を意識しながらも、道具と上手く付き合っていくことなのだろう。

 なんか総花的な結論になってしまいましたけど、終わります。

 自分も含めて、皆さんも寝床でスマホいじりすぎませぬよう。ブルーライトなる「スマホの精霊」に、やられますよ?

 

平清盛無くして、武士の世は来なかった。ー「謎解き平清盛」ー

謎とき平清盛 (文春新書)

 

 みなさんの一番好きな大河ドラマは何でしょう?

私は「平清盛」(2012年)です。昨年の「真田丸」も面白く好きな作品の1つではあるのですが、清盛はぶっちぎりで私の中で最高峰の作品なのです。

 聞けばCS銀河というチャンネルで大河ドラマ平清盛」の再放送が2月から始まるとのこと。まだ観てない人は是非観ていただきたい‼︎真田丸を楽しめた人、漫画やゲーム、アニメ、舞台が好きな人は絶対ハマるから‼︎

おいでよ!清盛の沼(^ω^)

 初めは平家物語で語られる諸行無常、平家の栄枯盛衰をどう描いていくのかが気になって見始め他のですが、初回から心を鷲掴みにされました。

 初回冒頭で平家滅亡の報を聞く頼朝という壮大なネタバレ、源氏勢は歓喜する中、頼朝は一喝する「平清盛なくして武士の世は来なかった‼︎」と。こいつ平家から見れば劇中では敵だけども、もしかしていいやつなんじゃないかと思ってしまう。その頼朝が清盛について回想語りをするという構成。そして、ピアノの旋律で始まるメインテーマ。OP映像もプレステのRPGやアニメを連想させるような感じです。

 これにはFF10の冒頭を思い出しましたね。

ティーダ「最後かもしれないだろ・・・だから全部話しておきたいんだ。」→テーマ曲「ザナルカンドにて」のピアノ曲の流れに重なります。

 ドラマ本編に入ると初回だというのに、上皇、帝、藤原摂関家、貴族、源平の武士、民、盗賊など様々な人々が一気に登場します。

映像、音楽、質感、役者の演技、演出、脚本と台詞回し、諸行無常、栄枯盛衰の中で受け継がれゆく意志や想い、平安末期の世界観にどっぷりと没入できる濃密な45分間が1年間もあったなんて、今になって思えば贅沢なことでした。

 「平清盛」を観終わってから清盛に対するイメージがガラリと変わりました。

彼は閉塞した古代の日本・貴族社会から「自立」し、「武士が頂きに立つ世」を実現させるために武士の可能性を世に示し、中世日本を切り開いたパイオニアであったのだと。それまでは、一般的な「傲る平氏は久しからず」や「平家にあらずんば人にあらず」に評されるような悪のイメージを清盛はじめ平氏一門に抱いていましたが・・・

 さて、ドラマ紹介はこの辺りにしまして本題へ。

 先日、ツタヤで古本の物色をしておりましたところ、大河ドラマ平清盛」の時代考証をしていた本郷和人氏の清盛本を見つけたので衝動買いしました。

 ドラマを観た人にとっては清盛のことをより深く識るために、未だ観てない人でも清盛が生きた激動の時代を識ることのできる良き解説書ですので、是非ご一読を‼︎

 大河ドラマ時代考証にあたり、本郷氏はこのようなスタンスで考証したとのこと。

知性と良心をもって、歴史(史実や人物像など)を復元する。それが歴史学である。

いやぁ、カッコいいですですね。インテリとはかくもこうありたいものです。

 私は理系出身ですので、あまり文系の研究手法については心得がないのですが、日本史学の作法が説明されていまして、なかなかに面白いと思いました。

・歴史を復元する日本史学の作法:「史実→史像→史論」の3ステップ

(1)複数の歴史的資料を正確に読み込み、確度の高い「史実」を復元する。

(2)複数の「史実」を組み合わせて、歴史的解釈「史像」を構築する。

(3)複数の「史像」を整合的にまとめ上げて「史論」を形成する。

 この史論が重要で、個別の研究結果をその時代の史論に照らし合わせることで、その時代性についても語れるようにするとのこと。

 文理の違いはあれども、研究という学問においてはその手法はやはり同じものなのだなと再認識しました。

さて、本書での清盛のプロファイリングをまとめてみました。

平氏の本質は武士であり、貴族にあらず。徹底した「異質な人」
 平家一門を力強く率いて、伝統や格式が重視される貴族社会の中で出世していった清盛の存在は、まさに「異質」である。当時、そんな人物は彼以外にいない。


②よく「学ぶ人」
 自らが異質な存在であることを自覚していたからこそ、貴族と互角に渡り合えるに相応しい伝統・観念、そして他者の振る舞いを学ぶ。平治の乱以後はあちらこちらの勢力にも気配りをしながら自らの身の処し方を変えていった。

③自己制御能力(忍耐力)の高い人
 平氏の棟梁として飛び抜けた武力を持っていたにも関わらず、晩年の治承三年の政変でのクーデーターを起こすまでその軍事力を行使することはなかった。彼の立場であればたやすく武力行使はできたはずだが。朝廷のやり方に自分を適合させ、貴族たちの顔を立てつつ、伝統の枠組みの中で振る舞った。


④日本の中世のフィクサー
 武力の統括者が古代国家(朝廷・貴族社会)とどれだ戦えるか、武力の有効性について身を以て示したのが清盛であった。清盛の生き様に学んだ頼朝は、鎌倉に武家政権を打ち立て、以後700年続く武士の世を築くのである。

 清盛は圧倒的武力を持ちつつも、貴族社会の枠組みの中で出世し、確実に力をつけていきます。
 そして、保元の乱あたりまでは「朝廷の軍事力」でしかなかった平家ですが、その後の平治の乱では各勢力(朝廷、貴族)から最大の兵力を有する清盛との連携が渇望されるまでになります。
 清盛自身があざとく欲したのではなく、武門を超えた働きを周囲から期待されるようになっていた。以前は上皇天皇の綸旨なしに動くことはできない「朝廷の軍事力」でしかなかった平家は、自ら考え、高度に政治的な判断を下すことのできる存在へとレベルアップしていた。このあたりで、「武士が頂きに立つ世」の準備が整ったのではないかと思います。

最後に私が清盛が偉大だと思うこと。


①強力な武力でもって、貴族社会秩序を破壊しなかった。世の秩序を武力で破壊 し、政権交代を為そうとはしなかったこと。清盛と似たような武人である織田信長は、その武力でもって旧体制・秩序を片っ端から破壊しましたが・・・その反動なのか、信長は明智光秀の謀反により道半ばで死去してしまいます。清盛は改革者にしては珍しく畳の上で亡くなっています。

上皇天皇・貴族たちと同じ土俵に立てるまで、貴族社会に従順に従い力をつけていき、ついには貴族社会に追いつき、そして追い越すことでかつては「朝廷の軍事力」でしかなかった平家(武門)を、「平家の軍事力無くして、政を遂行できない」状況へ平家(武門)と貴族の立場を逆転させたこと。彼は「貴族に使役される武力」からの解放者でもあったのだと思います。
 
 長くなってきたのでこの辺にしておきます。

平清盛という人物、ものすごく魅力的な男に違いないと思います。
そうでなければ、武家と公家の中を渡り歩き、朝廷貴族社会の中で栄達を極めることはできなかったと思うからです。
 

ザナルカンドにて

ザナルカンドにて

 

 

「働き放題ブラックプラン」化する労働『ブラック企業~日本を食いつぶす妖怪』

ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪 (文春新書)

 

 この本は、タイトル通り、いわゆる「ブラック企業」の実態を実際の話を取り上げながている。特に、新卒の若者がブラック企業に就職し、辞めたくても辞められず、心を病んでしまうような事例を数多く取り上げている。20代後半の自分としては、他人事ではないと感じる。

 ブラック企業の問題が話題になると必ず「じゃあ辞めればいいじゃないか」という意見が必ず出てくるが、本書は、なぜ「辞められないのか」ということを分析しているので、そういう意見を持っている人は是非読んでもらいたい。

 ブログの自己紹介でも書いているが、僕の仕事は教員だ。この仕事も、最近いろいろ新聞などで労働環境のブラックぶりが取り上げられることが多くなった。モンスターペアレント、学級崩壊、いじめ、部活の休日出勤など挙げればきりがない。

 これらの問題はいずれ他のところで取り上げるとして、今日話しておきたいのは残業代についてだ。

 教員に残業という概念はない。基本給にほんの数%上乗せされて毎月支給されている。17時に帰ろうが、22時に帰ろうが、みんな一緒、休日出勤してもしなくても、みんな一緒。いわゆる定額残業制。またの名を、「働き放題ブラックプラン」という。管理職的に見ればお得なのであろうが、ほとんどの教員は大損である。普通の民間企業に働いている友人が、働いた分だけ残業代をもらっている話を聞くと、憎くも羨ましく思える。

 この定額残業代というシステムをなくさなければ、教職を問わず長時間労働の問題は解決しないと思う。まず、安倍政権の「働き方改革」ではぜひこれを禁止してほしいものだ。

 飛躍するかもしれないが、昨今世の中にあふれている「なんとか放題」という定額でいくらでもできてしまうサービスが、社会全体をブラック化させているようにも感じる。飲み放題・食べ放題・パケ放題・かけ放題、定額映像配信サービス、一定額を払えば送料無料などなど・・・そして行き着いた先が「働き放題」なのだ。

 僕たちも、消費者として意識を変えなければいけないのかもしれない。定額でやりたい放題やってるのは自分も同じだ。使った分だけきちんとお金を払う、この原則を忘れないようにしたい。「~放題」は安心だけど、節度を守って使うようにしなければならない。その裏で泣いている人がきっといるのだから。

定額残業制と労働時間法制の実務

定額残業制と労働時間法制の実務

 

 

諸々の執着を捨てよう『脱「臆病」入門』

脱「臆病」入門

センター試験です。大寒波の中、己の人生を賭けた戦いに挑む受験生の皆さんは大変ですね。私も10年前はそんな受験生の一人でした。あれから10年が経ち、あの頃は男子高校生だった私も今では28歳のアラサーとなりました。

 有名難関大学に入れば人生安泰‼︎とまでは申しませんが、行く大学によってその後の人生に大きく影響することは間違いないと思います。大学に行くとは、たくさんの選択を同時にすることだからです。優先順位は人それぞれですが、どの大学に入りたいのか?何を学びたいのか?一人暮らしをしたいか?など。自分の願望を成就させるために必死に勉強に励むわけですが、全国の受験生との競争に勝ち抜かねばなりませんからそう簡単にはいきませんね。

 模試の結果に一喜一憂したり、できたと思っても上には上がいてすぐに現実をつきつけられたり、苦手科目をなかなか克服できなかったりと、受験生の苦しみの種は尽きることがありません。

 私も年末頃から二次試験が終わるまでイライラしっぱなしでした。勉強ができないという不安ではなく、「受験に失敗したらどうしよう・・・」という未だ先のことに不安を覚えていました。

 なぜでしょう?

 当時、県外の旧帝大の理学部を志望しており、最新の生物学を学び、都会(街)での悠々自適な一人暮らし、そこでの薔薇色のキャンパスライフを掴んでやる‼︎と躍起になっていたのです。これが、私の受験における勝利条件(達成目標)となっていました。

 すなわち、受験に失敗することはこの願望が一気に足元から瓦解してしまうことを意味していました。自分の思い通りにならなくなることが本当に恐ろしかったのです。そのために必死こいて勉強に励んだ結果、センター試験は上々の出来でして、志望校への道も少しは近くなったように一時の充実感に浸っていました。

 しかし、センターリサーチの結果は残酷でした。私が高得点をマークできたということは同等、それ以上の受験生はごろごろいるということでもありました。冷静になって考えればすぐわかることなのですが、当時はセンター試験が終わった直後で不都合なことは考えたくなかったのかもしれません。結局のところ、志望校の合格判定はそれまでの模試の結果と同じでした。自分の思い通りにいかないことほどイライラすることはないですね。

 さて、私の身の上話はこの辺りにいたしまして、今回は若いお坊さんの書籍を紹介いたします。本を読んだだけで「苦」がなくなるわけではありませんが、無意識のうちに心にかかったバイアスをニュートラルに戻すきっかけにはなると思います。

 仏教での「苦」とは、「自分の思い通りにならないこと=不満足の状態」であると説かれています。本書ではこの「臆病であるという苦しみ」の原因が、「自信不足」、「自意識過剰」、「存在の不安」という心のはたらきにあると言います。この3つの観点を中心にして「苦(本書では臆病)」の原因にアプローチして、その対処法がいくつも紹介されています。ちょっとした空き時間に5、6ページくらい読むのがちょうどいいです。

 「苦」は過去のことに拘っていつまでも考えてしまうこと、未来のことに対して漠然とした不安を抱くことで、「自分の思い通りにいかなかった、あるいは思い通りにならないかもしれない」という不満足感によって生じてしまうのだと思います。つまりは、過去と未来への執着だと思います。

 「今を、ただありのままに生きる。」

シンプルですがこれを実践し続けるのは大変に困難でしょう。もし簡単にできていたら、今や私もブッダになっておりますよ。

  まずは、自然体の自分から離れないような生活改善を少しずつはじめていこうと思います。