知の望遠鏡

文系教師と理系研究員の本の紹介を中心としたブログです。

綺麗事が通用しない時代に読むべき本『政治的に正しいおとぎ話』

政治的に正しいおとぎ話

 最近は、いろんな部分で「本音」で語る人が、もてはやされる時代になっているように感じる。

 この「本音」というのは、 あくまでも本当に自分が考えていることではなく、「本音っぽい」ことだ。「本音っぽい」とはどういうことかというと、「世間一般的に正しいとされる言説を否定するような発現」だ。

 「真面目でいい子ちゃん」の意見を徹底的にぶっ潰す、というのが人気を得る簡単な方法だ。

 象徴的だったのが、アメリカのトランプ大統領だった。彼は、徹底していわゆる「ポリティカル・コレクトネス - Wikipedia」(政治的正しさ)を否定した。

 「EU」という「正しい理想」を否定する候補者が人気を集めるフランス大統領選にもあてはまるだろう。

 人々は、今まで当たり前のように正しいとされていたものが崩されていくことに恐怖を感じつつも、一種のカタルシスを感じているように見える。一度感じたら癖になる、この快楽が、世界をポピュリズムの渦に巻き込んでいる。

 教師としていう職業をしていても同じようことを感じる。生徒にとって「教師として正しい話」というのは面白くない(反応はわかりやすく、つまらないとぐーすかぴーと寝るのである)。道徳の授業などというものは、その最たる例である。

 生徒が目を輝かして聞く話は何かというと、それは「下ネタ」だ。教師が言うべきでないと彼ら感じていることを言ってあげることだ。

 (社会科の授業というのはそういう話に脱線できることが多いのである、得てして本当に覚えておいてほしいということは覚えておらず、こういうどうてもいい話はよく覚えているのが常である。)

 今回紹介するこの本は、白雪姫やシンデレラのような誰もが知っているおとぎ話を「政治的に正しい表現」に直したものだ。もっと簡単に言うなら、おとぎ話から、人種差別・職業差別・障害者差別につながるような表現をなくしたらどうなるかということを示した本である。

 (正直、デーブ・スペクター先生の訳があまり上手じゃないので、英語ができる人が原本を読んだほうがいいと思う。自分はできないから読んでないが。)

 馬鹿馬鹿しいし、すぐ読めてしまうし、金を出して買うのはどうなんか?と思ってしまう本だが、政治家のいう「政治的に正しい言葉」とは、その程度のものであるということだ。

 本書は、正しいものが破壊される快感を得られる一種の政治的なエロ本であろう。

 正しいものが否定されることに快楽を感じるのは場所や時代が変わっても共通のことで、人間の本性なのだろう。しかし、このことに我々はもっと自明的にならねばならないだろう。この快楽に振り回されてしまえば、世の中にヘイトが撒き散らされる、いやーな雰囲気の時代になるだろう(すでになっている?)

 ※ 差別良くないと自分は思っています。←

何ということだ。あいつは何をしてくれたんだ……厩戸皇子。ー『爆撃 聖徳太子』ー

爆撃聖徳太子 (PHP文芸文庫)

 

■茸氏、思わずタイトル買い

 『爆撃 聖徳太子

 

これは衝撃的すぎますね。

 

書店で思わず二度見してしまいました、「聖徳太子」と「爆撃」ゼッタイにありえない組み合わせのこれらの言葉。

 

帯の文句には

ー変人・聖徳太子に振り回される凡人・小野妹子

 

とあればこれはもう読まねばならぬと衝動買いしました。

 

本当、卑怯ですよまったく。

 

書店の謀略にホイホイとひっかかりました。

 

■能力者・聖徳太子&スーパーユーティリティプレーヤー小野妹子

 東アジアで覇道を突き進む隋帝国に翻弄される朝鮮半島倭国の戦乱の続く緊迫した古代世界情勢が舞台の本作。

 

 そんな中、倭国隋帝国覇道から守るため、太子は隋皇帝・煬帝に喧嘩を売り、とばっちりを受けた小野妹子とともにこの国難に立ち向かうのであった。

 

・すごく賢いのだけれども変人として描かれている厩戸皇子聖徳太子)。

 別名、聡耳(とみみ)皇子。どんな秘密でもいつのまにか厩戸皇子の耳に

 入っている、まさに地獄耳ともいうべき能力の持ち主である。

 てっきり、朝廷に籠って権謀術数を巡らすのかと思いきや、倭国、朝鮮、

 隋へとあっちこっちを飛び回るイメージぶち壊すほどのアクティブっぷり。

 ホント、神出鬼没の行動力です。

 

 

・遣隋使 小野妹子

 外交大使ですのでもちろん大和語、朝鮮語、漢語のトライリンガル。

 これだけでも十分すごいのに、戦闘行為までやってのけるのだから、

 この人すごすぎる。

 外交官のイメージしかなかったのに、イメージがガラリと変わりましたね。

 本作の主人公です。彼の視点で物語が進展していきます。

 本当に厩戸皇子は上司にしたくないような振り回しっぷりをしてきます。

 

■東アジアを舞台とした古代史小説

 厩戸皇子作「日出処天子致書日沒処天子」のフレーズで始まる国書を送りつけられ、隋皇帝の煬帝激おこ。

 

 当時、文明や国力などで明らかに隋に負けていた倭国が隋に喧嘩をふっかけた、普通に考えたら自滅行為にしか見えない暴挙ですが、厩戸皇子の壮大な倭国防衛作戦の重要な布石であったとする本作の解釈には脱帽しました。

 

 確かに、厩戸皇子は変人として描かれていますが、行動原理は倭国(古代日本)を隋の覇道から護ることで一貫しています。

 

 

 強大な大陸国家帝国に翻弄される周辺弱小国家がどのような生存戦略を取るべきか?

 

 

 史実に筆者の大胆な発想を織り交ぜた筋書きは、実在が不確かな人物である聖徳太子だからこそ自由に動き回せたのでしょう。

 

 史実の結果は変わらないのだけれど、通説とは違う解釈、発想を見せられるのは本当に楽しいですね。

 

 国と国との戦争の本質とは?人間の本質とは?変人・厩戸皇子が執拗に小野妹子を振り回した意味がそこにありました。

 

 

 これだから大河ドラマや歴史物はやめられませんね。

 

 

 

 変人・厩戸皇子の戦略眼と行動原理、聡耳の力で相手の弱みを握り懐柔してしまう異能の力。

 

……ん? 

 

どっかで見たことあるぞ。

 

ルルーシュじゃないか⁉︎

 

ガンガン周辺国と戦をふっかける皇子!

 

ほぼ相手を意のままに操る聡耳の力はまさにギアス!

 

なるほどー、やけに茸氏の嗜好ドストラクだったのはコードギアスと通ずる処があったからか!

 

これでロボが出てきたら古代版コードギアスでしたね(笑)

 

いやぁ、古代史をテーマにした小説は面白いですね。

 

今となっては判らないことが多い空白の部分があるということは、史実という結果に至る筋書きをいくらでも考えることができる余地が豊富であるということ。

 

そこには色々な要素をブチ込むことがができる、とりわけ古代史においてはSF、異能の力、神や怨霊といったファンタジー要素も使い放題っていうのがいいですね。

 

「精霊の守人」が大河ファンタジーとして実写ドラマ化したように、本作も実写ドラマ化したら面白いと思うんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

生物のデザイン、どうしてこうなった⁉︎ー『ワンダフル・ライフ バージェス頁岩と生物進化の物語』ー

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)

 「カンブリア大爆発」という言葉を聞いたことのある読者諸氏もおられるだろう。

 

 現生生物のデザインとは似ても似つかない奇妙奇天烈摩訶不思議な古代生物たち、「バージェス頁岩動物群」である。

 

 パッと見、エイリアンのような姿形をした彼らであるが、多細胞生物の進化の初期に現れた非常に多様性に富んだ生物種なのだ。

 

 甲殻類を含む節足動物の仲間が様々な種に進化した時代、現生生物の分類枠に収まらない、失われた節足動物の系統も多く、どの分類枠なのかはっきりしないものも数多くいる。

 

 本書では、バージェス動物群の発見、分析、どの分類群なのかの同定していった年代記となっており、ちょっと専門的ではあるが読み物として面白い構成となっている。

 

 さて、専門的な話はここまでにして、私の好きなバージェス動物群の一部を紹介。

 

すごくインパクトのある復元図ですが、ほとんどの生物は数センチ程度、親指程度のちっぽけな生き物たちでした。

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アノマロカリス

“奇妙なエビ”という名を冠するこの時代の王者。

なぜ、こんな名前がつけられたのかは本書を読めばわかります。

他の動物が数センチ程度のサイズでしかなかったのに、アノマロカリスは最大120センチにもなるまさに超弩級

2本の触腕をくるみ割りのような強力な口で三葉虫などを貪り食っていたようです。

 

②カナダスピス

いかにもエビ!というかエビ!

エビのご先祖様だそうです。

 

③オパビニア

5つの眼と1本の長い触手?吻?

どうしてこんなデザインになった⁉︎現生生物からは想像もつかないこの形態、こんなのが当時の海にうようよいたとはロマンがありますよね。

 

ピカイア

弱っちくしょぼいナメクジみたいなコイツ、こんなでも我らが脊椎動物のご先祖様だと考えられているやつ。

脊椎の前段階である脊索を持っていて体をくねらせて泳いでいたようです。

他の節足動物と比べるとパッとしませんね。

 

⑤ハルキゲニア

ウインナーに爪楊枝を刺したような生き物。

気持ち悪くも可愛らしいやつ。

 

       ○ 

 

 遡ること20年前、NHKスペシャル生命40億年はるかな旅 」という番組を母が録画しており、幼少期はこの番組を繰り返し見ていました。

 

 生物進化という壮大なスケールの話を幼稚園生だった私の頭に刷り込むにはうってつけの番組でした。

 

 それとは別に、同時期のNHKスペシャル「驚異の小宇宙人体Ⅱ 脳と心」という番組も繰り返し見ていて、脳の機能や神経細胞の仕組みだったりとちびっこにはあるまじき偏った知識を得ていました。全くもってめんどくさい園児です。

 

 まぁ、当時は学問的なアレには興味なくて、綺麗なCG映像目当てに何度も見ていたのですが、そのうち地球進化や生物進化、人体の不思議などに興味が移っていきました。

 

 今思えば、ミトコンドリア葉緑体の進化といった細胞内共生説に興味を持ち、大学でミトコンドリアの研究を行ったのもこれがきっかけだったのだろう。

 

 映像の影響力とはおそろしいですね。

 

 

NHKスペシャル 生命40億年はるかな旅 第2話:進化の不思議な大爆発 [DVD]
 

 

 

NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体II 脳と心 DVD-BOX

NHKスペシャル 驚異の小宇宙 人体II 脳と心 DVD-BOX

 

 

 特に、このカンブリア大爆発の回が好きで、当時は珍しかったCGで描かれたアノマロカリスやオパビニアの動く姿などを見るのが楽しかったのを今でも覚えています。

 

 私の興味を自然科学系、特に生物学へ誘うきっかけとなった罪深き古代生物たち。

 

 そして、このような番組を録画し見せてくれた母には感謝するばかりです。

 

 

 

 

古典文学のカバーアルバム。 古典って結構おもろいやん‼︎ー「日本文学全集08」ー

日本霊異記/今昔物語/宇治拾遺物語/発心集 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集08)

 

茸です。

 

この前、書店でふと目に留まった「作家と楽しむ古典」という本を読みました。

 

 

 

森見登美彦氏が竹取物語を現代語訳するとのことで、軽い気持ちで読んで見ると、これが面白い!

 

作家ごとに現代語訳にそれぞれのクセや新解釈があって、古典への興味をそそるには十分でした。

 

特に、町田康氏の「宇治拾遺物語」の訳がずば抜けて面白かったので、それが収録されている「日本文学全集 08」を手に取ったのです。

 

収録は

日本霊異記 :伊藤比呂美 訳

・今昔物語  :福永武彦 訳

宇治拾遺物語町田康 訳

・発心集   :伊藤比呂美 訳

 

       ○

 

これらの本を読む前までは・・・

 

古典なんて貴族のやんごとなき日常とか、恋のうたとか、お説教じみた話ばっかだし、高校時代に習った古典はつまらん話ばっかじゃん。

 

おまけに現代語訳読んでもよくわからんし・・・

 

などと思っておりました。

 

 

読書後はというと・・・

 

古典おもろいやん‼︎

 

貴族も坊主も庶民も出てくる人物皆阿呆!

 

出てくる男は美人を見るとすぐに身分を問わずにそーいう行為に及ぼうとするわ、下ネタは満載だわ、阿呆なことで大盛り上がりするわで、(現代社会なら即警察沙汰ですがね)ある意味現代人よりぶっ飛んでる。

 

授業で習う古典は毒気のない無難な話だけだったんだと改めて思いました、そんなんじゃぁ古典に興味なんて持てませんよねぇ。

 

やっぱり、町田康訳の「宇治拾遺物語」はぶっちぎりで面白かったですね。

 

えぇ、あれはずるい。ちょっとクセになりそうですわ。

 

まあ、作家さんたちの現代語訳の技量なんでしょうけども(笑)

       

       ○

 

ちょっと真面目な話。

 

当時の人と死生観と言葉の価値観が随分と現代人と違うと感じました。

・すぐ人が死ぬ。それもあっさりと。

・恋しい、憎いといった感情で人ならざるものに姿を変えることもしばしば

・言葉には呪力がある

言葉に発して誓いを立てると、だいたいそれが現実のものとなる。

うっかり発言が命取りになることもしばしば。

説話集であるせいなのか、想いを込めた言葉を発すると、良くも悪くも巡り巡って自分や子孫にかえってきたりする(因果応報的な感じ)。

 

       ○

 

なんか古典文学と聞くと格調高い感じがしますが、全然そんなことなさそうです。

 

次は、森見登美彦氏が訳した「竹取物語」が収録された全集を読もうと思います。ハードカバー版はちょっと高いからKindle版が出てくれんかなぁ・・・

ひねくれ者の名言集『ラ・ロシュフコー箴言集』

運と気まぐれに支配される人たち―ラ・ロシュフコー箴言集 (角川文庫)

 

先日、卒業式を迎えた。

生徒にとっては一生に一度のことだが、教員にとっては毎年のイベントの1つだ。

そこでいつも困るのは、スピーチだ。

人前で喋らなければいけないことが多く、何か「良いこと」を言わねばならないのだ。

そこで、便利なテクニックは偉人の「名言」を引用することだ。

これを使うことで、何か説得力のあるいい話ができるのだ。

 

今日紹介する本は、そんな時に全く使うことができない、というか絶対使っちゃいけない「箴言」だ(名言ではないく、箴言だ)

こんなものが収録されている。

「我々は、期待があって約束をし、心配があってこれを守る。」

「誰しも、記憶力の悪さを嘆く。そのくせ判断力の悪さは嘆かない。」 

「人はせっせと善行を積む。あとで悪事を働いても大目に見てもらえるように。」

「人は普通、褒めてほしいから、褒めるのだ。」

「我々は、自分の意見に与する人ではないと、良識の人とは考えぬ。」

「老いた狂人は、若い狂人よりも、さらに狂っている。」

「我々が、自分の欠点を白状するのは、ただ虚栄のためである。」

「恋をしても、あまり愛さないことが、愛されるための確実な方法である。」

・・・

作者のラ・ロシュフコーは17世紀のフランスの貴族である。詳しくは、フランソワ・ド・ラ・ロシュフコー - Wikipediaを参照されたい。

彼の箴言には、とにかく皮肉の効いたものが多い。

人間の弱い部分や嫌な部分を少ない言葉で徹底的に暴き立てる。

自分にもそういう部分があるここを感じ、読んでいて恥ずかしくなる。

そんな言葉が、多数収録されている。

 

なかなか使いどころの難しい言葉たちだ。

 

でも、スポーツ選手が言うような無駄に前向きな名言は、私はあまり好きになれない。

前向きな言葉は、時にナイフのように自分の心をえぐってくる。

彼の言うような全力で後ろ向きな「箴言」のほうが、私は好きだ。

人間は皆弱いということがわかり、自分は一人じゃないと感じられる。

妙な安心感が得られる、そんな言葉でもある。

 

人生に疲れたあなたに、ぜひ読んでほしい。