冬はやっぱり鍋。
こんばんは。茸です。
2月になりました。
明後日は立春・節分、暦の上では春へ移り変わる時季だそうです。
このところ、関東の方は暖かい日がぼちぼちあるようですが、東北はやっぱり寒い。会社から帰ってくるだけで、カラダが冷えきってしまう。
やはり、そんな寒い時季は温かい鍋‼︎
そして、今日の夕飯は鴨鍋です。
↓画像は鴨鍋(鴨肉投入前)の様子
どうも鴨鍋というのがあまりメジャーでないようで、学生時代に友人に「鴨鍋でもしないか?」と誘っても食べたことない人がほとんどでした。
あれほど美味い鍋を知らぬとはなんと勿体ないことか⁉︎と思ったものですが、鍋物という料理は各家庭ごとに独自の文化であるし、まぁ仕方ないことかなと。
で、我が家の鍋はというと基本的に野菜たっぷり鍋です。
大根、人参、長ネギ、白菜、水菜、茸、豆腐などが基本具材で、鶏肉、豚肉、魚が日によって変わります。
まさに食物繊維大量摂取系鍋なのです。
大量の食物繊維とタンパク質、程よい炭水化物のバランスの取れた栄養配分‼︎いやぁ、健康的‼︎
鍋料理は基本的には具材を切って鍋に放り込んで煮込むだけですから、作るのが楽なんですよね。
鶏肉や鴨肉の場合は割り下、白だしで味付け。鶏肉からの脂がいい味を出し、鴨肉は特に甘みとコクが強いので、このダシで雑炊にするとこらがまた絶品なのですよ。読者諸賢には、是非とも食して頂きたいものです。
豚肉や魚の場合はポン酢であっさりといただくのが、我が家の文化です。
しばらくは寒い日は続くようですので、まだまだ鍋のシーズンを満喫できそうです。
今日の鴨鍋レシピ
(1人分)
具材
・大根 1/3本
・人参 1/2本
・ごぼう 1/2本
・白菜 1/4玉
・水菜 3束
・舞茸 1/2袋
・えのき 1/2袋
・豆腐 半丁
・鴨肉 100g
ダシ
・昆布
・割り下
シメ
・うどん 1玉
本を断捨離して、本棚を最高のときめきインテリアに。
こんにちは、介です。
僕は、見かけは柔道選手みたいですが意外に乙女な所があって、結構、整理整頓とか好きなんです(でも掃除は苦手で、あまり好きじゃない)。
最近、話題になっていた『人生がときめく片づけの魔法』を読んで、影響を受けまくりまして、いろいろと部屋のお片付けをはじめたわけです。
で、その中で、一番の難敵が本だったわけですね。大学時代からの本を全部持ってきてかつ、読みもしない本を「これは授業のネタに使えるかもしれぬ」を買ってしまい、本棚には収まりきれず、押し入れの中まで侵食してきたわけです。
そこで、まず家中の本を一箇所に集めて、一つひとつ「自分がその本にときめくかどうか」をチェックしていきました。その結果、ダンボールが5箱ぐらいになり、ブックオフに出張買取してもらったわけです。
というわけで、今日はスッキリした僕の本棚を皆さんにお見せしようと思います。
続きを読む書店探訪、『書縁』を訪ねて。
私(茸)は書店に行くのが好きだ。
街に出かけた際に少しの時間があればフラッと書店へと赴く。
特に買いたい本があるわけでもなく、ただ本を探しに行くのである。
街にある大型書店がいい。
書店に入るとすぐ新冊の紙の匂い、インクの匂いとでもいうべきかあの独特の香りが鼻をくすぐる。
書店の静粛な雰囲気の中、膨大な書籍の中から思わず読みたくなるような本を探すべく、ただアテもなく本棚の前を歩いて行くのだ。
書店の良いところは、思わぬところで良本に出会うことである。
お目当の本を探している途中でふと目に入った本に興味が湧くことは少なくない。むしろ、そんな時にこそ良本を発掘できる。
買う前に本を手に取り、パラパラと中身を少しばかり吟味してから買うことができるというシステムが何より良い。
書店には様々な書物の『縁』という糸がたなびいている。
「さぁ!私を読め‼︎」と言わんばかりの本が手ぐすね引いて待ち構えているところへ、えいやっと足を踏み入れるのだ。
どの『縁』を引き、良本と出会えるか、そうして引き当てた本が自分にとっての良本、強いては宝典ともいうべき書物になるか、そこに書店探訪の醍醐味があるのである。
もしかすると、書店には本との『縁』結びの神様がいるのではないかと思うことすらある。
昨今、街の書店が相次いで閉店に追い込まれているニュースを聞くにつけ悲しい限りだ。電子書籍やネット通販の代等により、書店は経営難に陥っているのだという。
確かに、電子書籍やネット通販は便利で即時的であるため、私もよく利用する。
しかし、電子書籍などはお目当の本を即時購入する際には便利だが、新しい本に出会う機会はかなり限定的なものだと私は思う。
「あなたへのおすすめ」や「この本を買った人は他にこんな本も買っています」のように、各個人に合わせて色々とリンクをつけてお節介をしてくれ、新しい本に出会う機会を広げてくれているように見える。
だが、これはあくまでも過去の購入履歴やパターンから計算された結果であり、ある意味で予定調和的、ネット書店側が用意したレールをただ辿っているように過ぎないのではないか?
結局は、自分の趣味嗜好パターンの範疇内で視野や知見を広げる機会が限定されてしまう気がするのだ。
書店でフラフラと物色中に、全く予期せぬ場所で予期せぬ本を見つけるような偶然的な出会いによって、自分の趣味思考の範疇外へ興味の幅を広げることができる絶好の機会ではないか。
そこで掴んだ『書縁』からまた別の『書縁』を手繰り寄せて行くことで、自分の世界は広げることおできる数少ない貴重な場所こそ、(アナログの)書店であるのだ。
勿論、ネット書店や従来の書店の両方ともメリットとデメリットはあり、上手く使い分けていけば良いのだけれども、いかに時代の流れとはいえ従来型の書店が淘汰されて行くのが寂しいのである。
ご近所に中型書店ができることを切望するこの頃である。
自らを改変する道具を手にいれたヒト。ー『ゲノム編集とは何か DNAのメス クリスパーの衝撃』ー
ゲノム編集技術「CRISPER/cas9」をヒトは使いこなせるか?
遺伝子組み換え技術によって我々人間の文明が成り立っていると言っても過言ではない。毎日食べる食物は天然物以外全て(広義の意味で)遺伝子組換え食品である。
なぜなら我々の先祖が長い年月をかけて、作物や家畜を品種改良したものを食べているに過ぎないからだ。つまり、農業・畜産の歴史は人間が膨大な時間をかけて行ってきた遺伝子組換えの大実験の歴史でもあるのだ。人類が農耕を始めてから数千年という時間をかけて動植物の遺伝子組み換えをひたすらやり続けた。
だが、自然任せによる品種改良は如何せん効率が悪い。
バイオテクノロジーによる従来の遺伝子組み換え技術は品種改良の効率を上げることになったが、かなり大雑把なものであった。ある程度は人為的に狙った遺伝子の改変を行うことを可能としたが、成功率は数%にも満たないのが現実であった。
近年、ノーベル賞候補として注目を集めているゲノム編集技術「CRISPER/cas9」がある。この技術は従来の遺伝子組改変技術をはるかに凌ぐものであり、遺伝子の本体であるDNAを効率よく正確に編集することを可能とした革新的技術である。
ゲノム編集技術「CRISPER/cas9」の特徴は以下の通り。
詳細なゲノム編集のカラクリについては本書で確認を。
・遺伝子の狙った部分(塩基)を正確に編集できる
→編集法:遺伝情報の削除、修正、挿入など。
・高い遺伝子編集効率~数10%(従来法比~数%)。
・技術習得が簡単。高校生でも2週間程度で習得可能。
この革新的技術は食品、農業、医療の分野で存分に力を発揮し、難病を治療し、より良い作物を生み出せる一方で、我々に新たな問題を突きつけるのだ。
そう、『デザイナーベビー』の問題である。
神の領域へ:デザイナーベビー 強化人間
原理上、自分たちの都合の良いようにゲノムを書き換えることのできる「CRISPER/cas9」は致死性遺伝病や難病治療の枠を逸脱し、親の思い通りの外見、運動能力や知性を備えた子供(デザイナーベビー)を人間の手で作り出せてしまう技術でもある。
知能、身体能力を強化した人間、つまりは、SFの中に出てくるニュータイプなどといった強化人間が現実のものとなってしまう未来もそう遠くはないのである。
現在、臨床面でのヒト胚へのゲノム編集は国際的に禁止されている(研究面ではやっても良い)が、非常にアンバランスな状況であり、専門家ですらこの技術をどう扱って良いのか持て余している。革新的すぎるこの技術に対し、我々の倫理観や規制が追いついていない問題がある。
リスクのない絶対安全な技術なんてものはない。ゲノム編集技術「CRISPER/cas9」は社会に大きな恩恵をもたらす一方、遺伝子改変による予期せぬ副作用が引き起こされるリスクがつきまとう。リスクがあることを承知し、そのリスクを最小限に抑え制御しながら技術を使いこなすことが重要だ。
人間にとって非常に便利な技術であるが、自然の摂理に反しているのも事実である。そもそも「CRISPER/cas9」のシステムはバクテリアの免疫システム(感染したウイルスゲノムの削除)の応用であり、バクテリアとしても遺伝子改変に転用されるとは思っても見ないことだろう。果たしてヒトにゲノム編集技術のリスクコントロールができるのか否か?十分に吟味し、議論していく必要があると思う。
本書はゲノム編集技術に関する解説書であり、この新技術に関するルール作りや議論をしていく上での十分な知識と情報を提示してくれる良書である。
現代の「スマホ禍」~新しい道具との付き合い方を考えよう~『文字禍』
私の好きな作家の一人に中島敦がいる。
出会いは、中学時代に読書感想文で、彼の代表作『山月記』を読んだ時だ。
文体が漢文調で難しかったが、内容に引き込まれた。
人生で折に触れて読み返し、私の人生に大きな影響を与えた一冊である。
今では、現代の李徴を自認するまでになり、虎予備軍である。
また、中島敦の人となりも好きである。
彼の家は代々、漢文学者の家系で東京帝国大学に進学した。女子高の国語の先生をしながら小説を書き続けた。古典を下敷きにしながら小説化した短編作品を多く著した。しかし体調を崩し辞職。教職には復帰せず、南洋庁の教科書編纂係としてパラオに赴いた。そこで変な病気をもらい帰国。33才で若くしてなくなってしまった。
好きなポイント
・学歴の割に人生がふるっていないところ。
・夢破れて教員になった「でもしか先生」
・優れた作品を書きながらも同時代に似たような作風で活躍していた芥川龍之介の影に隠れてしまっているところ。
・もっといい写真はなかったのかと思うほどのキテレツの勉三さんみたいな外見。
なんか自分と重なるところも多すぎて、とても親近感を感じるのだ。
で、今日の紹介する本は、あえてメジャーな山月記ではなく、山月記と同時に発表された『文字禍』。山月記が有名すぎて影に隠れがちだが、中島敦を語るには忘れてはいけない名作。(彼の人生的にもこれを紹介すべきだと思った)
短編ですぐ読めてしまう作品だ。青空文庫だから無料。読むのが難しいならYoutubeの朗読動画でもいい。ぜひ、読んで(聞いて)みてほしい。
内容の説明(ほとんどネタバレ注意)
主人公の古代アッシリアの学者ナブ・アヘ・エリバ博士。国王に命じられ、「文字の精霊」を探すことになる。博士は、図書館にこもり文字を見つめ続けると、文字がバラバラになることを見えることを感じる。博士は文字のまとまりを感じさせるものとして、「文字の精霊」を見出したのだ。次に博士は、文字の精霊の人間に対する働きを知るために、街に出て最近になって文字を覚えた市民に「何か変わったところはないか」と聞く。そこで出てくるのは、文字を覚えて目が悪くなった、足腰が弱くなった、物覚えが悪くなった、見た目が悪くなったなどマイナスの話ばかり。そして、博士はこう結論づけた。
「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ
痲痺 セシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」
博士は、国王に文字の危険性を訴えた。しかし、一流の文化人でもある国王は機嫌を損ね、自宅謹慎を命じられた。そして数日後・・・
ニネヴェ・アルベラの地方を
襲 った大地震 の時、博士は、たまたま自家の書庫の中にいた。彼の家は古かったので、壁 が崩 れ書架 が倒 れた。夥しい書籍が――数百枚の重い粘土板が、文字共の凄 まじい呪 の声と共にこの讒謗者の上に落ちかかり、彼は無慙 にも圧死した。
いやー、いろいろと考えさせられる作品ですよ。いわゆるゲシュタルト崩壊とか、文字を覚えることの有害性とか。あと、本に押しつぶされて圧死とかいう学者的には腹上死的だよね、とか。
これだと感想としてひどいので、何かまともなことを語ろう。
文字禍における文字を「スマホ」に置き換えてみても面白いかもしれない。ナブ・アヘ・エリバの文字への批判指摘は、そのまま現代のスマホへの批判になってしまう。
自分が子どもの頃は「ゲームをすると馬鹿になる」と言われたし、自分の親の世代は「漫画を読むと馬鹿になる」といわれたという。明治時代を遡れば、新聞を歩きながら読むのが危険だとか、どっかで聞いた話だ。
新しい「便利な道具」の登場は、いつ時代も有害性を強調されるものだ。文字もある意味、当時では新しい道具だろう。
批判するのは勝手だけれども、新しい道具をなくすことはできない。「自然に帰れ」といっても原始時代に戻れるわけではない。我々に必要なのは、害を意識しながらも、道具と上手く付き合っていくことなのだろう。
なんか総花的な結論になってしまいましたけど、終わります。
自分も含めて、皆さんも寝床でスマホいじりすぎませぬよう。ブルーライトなる「スマホの精霊」に、やられますよ?
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