知の望遠鏡

文系教師と理系研究員の本の紹介を中心としたブログです。

「中国人」とは一体何なのか『紫禁城の栄光』

紫禁城の栄光―明・清全史 (講談社学術文庫)

私は、三国志が好きだ。

義に暑い漢たちのとても格好いい生き様。

私も、そのようにありたいと思ったものだ。

 

しかし、三国志に登場した「中国人」たちは、今存在しているのか?

その答えは、NOだ。(かすかに血が残っていればいい程度であろう)

なぜならば、三国志以降、北方の騎馬民族が中国になだれこんだからだ。

唐滅亡後のの五代十国時代は凄まじく、ほとんどの「中国人」が殺されたという。

 

そもそも、唐といえば、唐辛子という言葉が残っているように、中国の代名詞的な王朝として著名であるが、その源流は、これも騎馬民族である。

 

国史の興味深いところは、このように異民族が絶えず流入し「血統」が大きく入れ替わりながらも、「中国人」という実態は残っているところである。

つまり、中国人とは「血統」で規定されるものではないのだ。

では、中国人を規定しているものとは一体何なのか。

 

それは、中国という「文化」である。

文化によって、全く血統の違う民族を「中国人」としてしまう。

中国人の血統は保持せず、中国の文化は守る、このようなシステムができあがっている。まるで宿主を探すウィルスのような感染力を持っているのだ。

 

前置きが長くなってしまったが、今回紹介する『紫禁城の栄光』は、明末から清朝乾隆帝の時代までの歴史が説明されている概説書である。

この本の面白いところは、清を「中国の王朝」としてではなく「モンゴルの王朝」としてとらえているところである。

モンゴルの文化の側面を基本的に保持しながら、中国の文化も取り入れていく二面性があったのである。

清は、それまでの中国の騎馬民族王朝のように完全に中国化されるわけではなく、自らのアイデンティティを保持しながら中国文化を摂取していく器用さを持っていたのである。清の国家としての強さの源はここにあったのである。

(しかし、この清も代が進むにつれ、中国化が進み弱体化していくわけであるが…)

 

昨今、日本と中国の関係は「政冷経熱」という言葉に代表されるように、良くも悪くも切っても切り離せない関係となっている。

私は、隣の国家であるが全く違う国家であると知らねばならないと思う。なまじ同じで似ていると思うから、トラブルになるのである。

日本人とは、多くの面で違うのだ。

我々は、もっと中国を知らねばならない。

知らなければ良い関係は絶対に築けない。

 

我々とは違う中国人の一面を知るためにもぜひ読んでみてほしい。

この厄介な国、中国 (WAC BUNKO)

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