18歳ときに読んだ哲学本、28歳のときに読んだ仏教本
18歳といえば、高校3年生、大学受験真っ只中でした。
そんなときに読んだ哲学本(笑)です。
哲学本(笑)と書きましたが、とりあえず読んで見てください。
哲学本(笑)と思えたならば、なかなかオタクの教養が高い方です。
どこでこの本を手にしたのかは定かではないのですが、捻くれ者の私にとって衝撃的な一冊でした。副作用として、余計に捻くれてしまいましたが・・・
ざっくりと言ってしまえば
モテないから(非リア充)哲学的思考を行わざるを得ない
モテる者(リア充)は人生に満足しているから哲学的思考なんかしない
ということだそうです。
そして、哲学者の思想を
モテ VS 非モテ
の構図で展開していく点が面白いです。
なるほど、そういう側面から解釈して行くのか。
プラトンから現代に至るまでの哲学の系譜が解説されている割には、内容は難しくなく意外と読みやすかったという当時の印象です。
例え話や解説文にアニメ・ゲーム・マンガネタが満載なのがこの本の特徴。
ほぼ全ページに元ネタの解説が注釈されており、むしろこっちの解説の方が面白かったりもします。
さて、お釈迦様が出家したのが29歳のときだったそうです。
自分を取り巻く環境や人生そのものに不満や苛立ちを感じた28歳の茸氏。
何となくお釈迦様が出家を決意した気持ちが想像できなくもないでもありません。
そんなお年頃なのでしょうか。
そんなときに見つけた一冊です。
約2000年前にゴータマ・シッダールタ(お釈迦様)が開いた仏教は今では多様な進化を遂げ、世界各地にその地域特有の仏教として存在している。
ではなぜ、それらの数多の“仏教”が“仏教”であり続けられるのか?
では、それらの源流(Origin)=ゼロ・ポイントとなる思想は何か?
ゴータマ・シッダールタが説いた仏教の核心は何だったのか?
これらの疑問点を現存する経典を基に、ゴータマ・シッダールタが説いた仏教の核心を再構築、推察しており、この過程が非常に興味深い内容です。
一つ例を出すと
仏教でいう「苦」とは
心が満たされない不満足であること
これを肉体的・精神的な苦しみと解釈してはならないということ。
この説明にはすごくスッキリしましたね。
内容はちょっと難しめなので、何度か読み返しながら何とか読みきりました。
少し思考の整理ができたように思います。