知の望遠鏡

文系教師と理系研究員の本の紹介を中心としたブログです。

史上最強の赤ペン先生『雍正帝』

雍正帝―中国の独裁君主 (中公文庫)

 教師の仕事についてからというもの、赤ペンの消費量が異常に早くなった。採点はもちろんのこと、毎日提出される学習記録帳なるものにコメントを返してあげなければならない。勉強した時間や内容や、一日の反省。真面目に書く生徒もいれば、他愛もない世間話を書く生徒もいる。全く勉強していない生徒がいれば、やんわりと励ましのような叱責のような言葉をオブラートに包みまくって返してあげる必要がある。あまりにも忙殺されていた時は、全部Facebookよろしく「いいね!」ですましたくもなってしまう。

 この本で紹介されている、雍正帝は、17世紀から20世紀かけて中国を支配した秦王朝の第四代皇帝である。康煕帝乾隆帝のような偉大な皇帝に挟まれ、いささか存在感の薄いこの人物、実は中国史上最も勤勉な皇帝だったと言われているのである。

 広大な領域を支配する清朝は、各地に中央から地方官を派遣している。そして、地方官はレポートとして中央に提出しなければならない(これは「奏摺」といわれる)。いつの時代もそうだと思うが、こういう類の文書にトップが目を通すということは、まずない。たいていは、中央の事務方でチェックを受け、よっぽどのものだけが皇帝にあげられる。そして、皇帝は目を通し、皇帝の命令があれば、事務方がそれを下に伝えていくのである。(実際は、皇帝の決済があるのはまれで、ほとんどが「よきにはからえ」である。)

 しかし、この雍正帝、全てこの毎日送られてくる膨大な量の奏摺に目を通し、全てにコメントを返しているのである。内容は、皇帝の決済の内容だけではない。

「字が汚い。」、「余計な世辞は無用。」、「ムダに長く内容がない。」。「簡潔に書け!」(例は、この文章である)

・・・かなり細かく、そして辛辣な内容を返している。つぶさに読んでいなければ、かけるようなものではない。雍正帝は、このコメントを返すために、朝早く夜遅く、睡眠時間は以上に短かったという。このような雍正帝の厳格な政治姿勢によって、在位60年にも及んだ康煕末期の政治の緩みは正され、乾隆期の最盛期につながるのである。

だが、雍正帝の在位期間は、在位60年にも及ぶ康煕帝乾隆帝に比べ、わずか10数年で終わってしまう。おそらく過労死であろう(本書では明言されてはいないが)。

 

雍正帝という人は、典型的な「自分がやったほうが早い病」の人だったのだと思う。  

自分でやった方が早い病 (星海社新書)

自分でやった方が早い病 (星海社新書)

 

  事務方が信用できず(中国史では多々あることだが)、全てトップである自分が把握しなければが気がすまなかった。人を信用できず、任せることができなかった。それが彼の命を、縮めたのだ。

 私は、彼のようのもなれないし、なりたくないし、ならないように気をつけねばならない。でも、どことなく、そんな雍正帝という人に「愛らしさ」を感じるのである。

 昨今、働き方改革、残業規制、ブラックバイトなど労働のあり方が話題になることが多い。歴史上初めて「過労死」したこの人物を、考えることは大きな意味があると思う。ぜひ読んでほしい。

 最後に、私が愛用している赤ペンを紹介して、筆(キーボード)を置きたい。 

                    (安くて書きやすくておすすめ!)

ぺんてる サインペン  XS520BD5 5本パック 赤

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