文理対談「近親婚について」ークローズドコロニー、多様性、グローバリゼーションー
介氏(文系)ー以下、介
茸氏(理系)ー以下、茸
介 こんばんわ。
茸 さて、初回テーマだけども。
介 近親婚の問題について取り上げてみましょう。
茸 承知。では、介氏の見解からどうぞ。
介 近親婚というのは、ほとんど民族や文化でタブーとされていますね。宗教上の禁 忌とされる場合が多く、推奨されるものではありません。しかしながら、古今東西、王族いわゆる高貴な人々の間で、近親婚が繰り返されたのもまた歴史的事実であります。しかし、近親婚が繰り返されてきた結果、様々な問題が起きました。たとえば、ヨーロッパのハプスブルク家に代表されるような、遺伝病が誘発され、障害児や奇形児の生まれるリスクが高まったのです。(ここらへんは茸氏の領分でありましょうが)。実際、古今東西、様々な王朝である代に突然、キ◯ガイのような暴君が現れるのは、この近親婚が繰り返しが引き起こした精神病の一種なのではないかとも考えられるわけです。つまり、近親婚の引き起こす様々な遺伝的なリスクを人類は経験したために、そのリスクを回避するために、近親婚をタブーとしたのではないかと考えられるわけです。実際、多くの国の神話や伝承の中には、近親婚を行った結果、不幸に見舞われるというようなタイプの話が多く見られれます。(ギリシャ神話におけるのオイディプス王 の話などが典型的ですね。)神話というものがある種の教訓を伝えるために生まれたものと考えるのではあれば、人類はこのような神話を用いて、近親婚への戒めをしていたのではないでしょうか。
茸 近親婚を繰り返すと、当たり前ですが血が濃くなり、遺伝子の多様性が収束していく方向に傾く。ヒトの遺伝的多様性は非常に高いため、ある遺伝的多型が濃くなると重度の疾患または死を招いてしまう。実験動物だと、この近親交配を繰り返し遺伝子組成を均質化した近交系(クローズドコロニー)を作るんですけどね
介 なるほど。…ただ興味深いのは、このようなタブーがあるにも関わらず、どの時代でも近親婚が行われる例は多いということです。近親婚を行うのは、身分の高い家同士で行われることが多く、しかし、最終的にそれは崩壊へ向かうのです。
茸 日本神話でイザナミの第1子は人の形を為していないヒルコであったという逸話についても、イザナキとイザナミが血縁者同士の近親婚による奇形児出産だったって可能性が考えられませんかね?
介 つまりですよ、身分が高い人々が近親婚によって最終的に破滅するという、この歴史的な法則が、ある意味、人類の身分の固定化というものを防いでいるのではないかとも考えられると思うのです。
茸 つまりは、自然選択により近親婚を繰り返す集団は排除されていく可能性があると?高貴な身分といいう実態はなく、そこに収まる氏族集団が入れ替わり立ち替わり流転すると?
介 そういうことです。そうすることで、身分の循環がなされ、身分の低き者が身分が高き者になるチャンスが巡ってくるのです。いわば人類史において「下克上」とは、近親婚というもの通じてシステム化されているのではないかと思うのです。
茸 なるほど、実に興味深いですね。では、ぼちぼち私の開陳を始めますか
介 どうぞ。
茸 そもそも近親交配を繰り返すという行為自体が進化の流れに反している。なぜか?
介 さっきもあったように、最終的に破滅に向かうからでしょう。
茸 生物は自分とは違った遺伝子組成を持った子孫をたくさん作ることで、環境変化により適応した個体を残せる確率を上げる。その効率を最大化できるのが、有性生殖における遺伝子ミックス&組換えによる変異型(バリエーション)の創出なんですよ。つまり、有性生殖により両親の遺伝子をミックスし、親とは少し違った遺伝子変異を持つ子が生まれる。そうやって、様々な遺伝子変異パターンを持った子孫のうち環境に見事適応できた個体の遺伝子セットだけが残る。この小さな遺伝子変異の蓄積が繰り返されてくことで、祖先とは全く違う遺伝子組成を持つ子孫が生まれる。これが進化の原動力。
介 自然淘汰、適者生存ってやつですね。
茸 そう、自然淘汰を生き残るには、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる作戦を取らざるを得ない。子孫が置かれる環境がどのような状況になるかは予測不能であるからね。なので、自分と同じ遺伝情報を持つ子孫を残し、それが、環境に適応できない場合は一気に根絶やしにされておしまい。
介 昔の人は、子沢山ですからね。一夫多妻制も理にかなっている部分もありますね。
茸 有性生殖の変異創出効率を最大化するには、自分と遠い血統の者と交配することなんです。
介 身分が高い人達が遺伝的ににていると考えるのであれば、身分の低い人の血を迎えることにあたりますね。神話にも、全く別世界の人間と契を結ぶことによって、子孫が繁栄するというような話もありますね。さらに神話には犬や虎など動物と人間が契を結ぶことで、力を得るという話もあります。また、先日の私の記事「中国人」とは一体何なのか『紫禁城の栄光』 の中でも述べたように、定期的に血統をないまぜにすることで、中国という国に強さが発揮されてるとも考えられますよ。
茸 これまでの話をまとめると、生物は「純化」を嫌い、「雑多な多様性」を好む。ヒトの文化、文明はなぜかこれに逆行しているように見えるんですよ・・・
介 昨今のグローバリズムは、「雑多な多様性」を否定し、純化に向かう過程であるとも捉えられますね。まあ、その純化というのは、いわゆるアメリカ化(マクドナル化)にあたるわけですが・・・。
茸 「純化=均質化」というのは長期的スパンで見るとリスクしかない。ちょこっとでも環境変化があろうものなら純化した集団は一発でお陀仏になってしまいますんで。しかし、そこに多様性があれば、どれか1つでも生き残れば絶滅は回避できますしね
介 しかし、アメリカにおけるトランプ現象や欧州における民族主義の台頭など、グローバリズム、つまり純化に反発する動きが多く見られます。つまり、純化に反発し、多様性を求めようという動きが強くなっていると考えることができますね。
茸 多様性を大事にするということは、今ある文化を大事にしていくってことなんじゃ?そもそもグローバル化が進んでいるこのような状況で、新しい文化が生み出されるのは難しいと思うんですよ。過去の歴史を見ても、文化の融合というのはなかなか難しいものがあるし・・・。文化が異なるほど、互いに反発する傾向があるように思う。
介 これに関しては、同意しますね。今ある文化の保持が多様性を維持していく一番の解決策でしょうね。ただ、1つ考えていかなければならない大きな問題がありますね。
茸 ほう、その問題とは?
介 つまり、他の文化を認めるということは、現代であれば、たとえばイスラムにおける女性の人権が無視されている状況や残酷な拷問や刑罰なども文化として容認されるのかという問題です。文化といってしまえば、何でも認められるのか?ナチスも?自由を否定する自由を認めるのかという問でもあります。ちなみにドイツでは戦う民主主義といわれ、民主主義を否定する政党などは存在してはいけないことになっています。
茸 極論を言えば、文化同士の干渉なわけで、そのような干渉はやらないに越したことはないと思う。そこに「ポジティブな無関心」が必要なんじゃないかなと?自分の文化に悪い影響がないのであれば、干渉しないほうが望ましいと思う。まあ「ウチはウチ、ヨソはヨソ」ですね。
介 議論が袋小路に入りそうですね。結局、「文化の普遍性」VS「文化の多様性」というのは、いつの時代も、その揺れ動きの中にあるのですね。そして、どちらにもメリットやデメリットがあります。結局、総花的な結論になってしまいますが、バランスを取る事が大事なのですよ。いわば「中庸」ですね。
茸 今は普遍化から多様化へと移りゆく段階にあるのですね。
介 そして多様化が進んだところで、またこれではいけないということで普遍化が進められる。その繰り返しです。輪廻と申しましょうか、これに限らず、世の中の様々なものは「繰り返す」ことが多いです。現代の我々に必要なのは、この繰り返しに自覚的になることですね。そして、極論にならないよう、適度にバランスをとること。シーソーが、壊れないように。
茸 今は何でも極論にいってしまいますからね。すぐ白黒つけたがる。グレーゾーンというのもやっぱり必要じゃないかと。
介 もう少し「曖昧さ」に寛容になったほうが、我々も生きやすくなる部分もあるのではないですかね。
茸 「曖昧さ」は悪であるいうのが強いですからね。
介 その点では、昔の人のほうが曖昧さに寛容だったともいえます。争いを避けるための知恵という点では、昔の人が優れている点もありますよ。現代人の我々が、歴史から学ぶべきことは多いですね。ただの知識だけではなく、物事への向き合い方というか。
茸 資本主義の生み出した競争社会が、「勝ち組」や「負け組」を生み出し、曖昧さへの不寛容さを生み出したともいえる。確かに歴史の授業では事実の部分が多く、当時の人々の心の動きであるとか、そこに踏み込むことは少ない。歴史学というのは、過去から事例を学び、未来を推測することができる学問だと思う。そういう意味では、歴史学というのは非常にサイエンス的だ!!
介 E・H・カーという歴史学者が、その著書の中で、「歴史とは過去との対話である」と言っています。
茸 温故知新、ですか。
介 我々も歴史を学び、未来を作り、そして、また我々も歴史を残すのです。次の未来のために。歴史を作っていくのは、そう…
ディスプレイの前の君たちだ!
茸 うまくまとめましたね。
介 これで終わります。皆さん、歴史を学びましょう~。
茸 では、またの対談をお楽しみに~。
- 作者: E.H.カー,E.H. Carr,清水幾太郎
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