知の望遠鏡

文系教師と理系研究員の本の紹介を中心としたブログです。

現代の「スマホ禍」~新しい道具との付き合い方を考えよう~『文字禍』

文字禍

 

中島敦 文字禍青空文庫リンク)

 

私の好きな作家の一人に中島敦がいる。

出会いは、中学時代に読書感想文で、彼の代表作『山月記』を読んだ時だ。

文体が漢文調で難しかったが、内容に引き込まれた。

人生で折に触れて読み返し、私の人生に大きな影響を与えた一冊である。

今では、現代の李徴を自認するまでになり、虎予備軍である。

 

また、中島敦の人となりも好きである。

彼の家は代々、漢文学者の家系で東京帝国大学に進学した。女子高の国語の先生をしながら小説を書き続けた。古典を下敷きにしながら小説化した短編作品を多く著した。しかし体調を崩し辞職。教職には復帰せず、南洋庁の教科書編纂係としてパラオに赴いた。そこで変な病気をもらい帰国。33才で若くしてなくなってしまった。

好きなポイント

・学歴の割に人生がふるっていないところ。

・夢破れて教員になった「でもしか先生」

・優れた作品を書きながらも同時代に似たような作風で活躍していた芥川龍之介の影に隠れてしまっているところ。

・もっといい写真はなかったのかと思うほどのキテレツの勉三さんみたいな外見。

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なんか自分と重なるところも多すぎて、とても親近感を感じるのだ。

 

で、今日の紹介する本は、あえてメジャーな山月記ではなく、山月記と同時に発表された『文字禍』。山月記が有名すぎて影に隠れがちだが、中島敦を語るには忘れてはいけない名作。(彼の人生的にもこれを紹介すべきだと思った)

 

短編ですぐ読めてしまう作品だ。青空文庫だから無料。読むのが難しいならYoutubeの朗読動画でもいい。ぜひ、読んで(聞いて)みてほしい。

 

内容の説明(ほとんどネタバレ注意)

主人公の古代アッシリアの学者ナブ・アヘ・エリバ博士。国王に命じられ、「文字の精霊」を探すことになる。博士は、図書館にこもり文字を見つめ続けると、文字がバラバラになることを見えることを感じる。博士は文字のまとまりを感じさせるものとして、「文字の精霊」を見出したのだ。次に博士は、文字の精霊の人間に対する働きを知るために、街に出て最近になって文字を覚えた市民に「何か変わったところはないか」と聞く。そこで出てくるのは、文字を覚えて目が悪くなった、足腰が弱くなった、物覚えが悪くなった、見た目が悪くなったなどマイナスの話ばかり。そして、博士はこう結論づけた。

「文字ノ害タル、人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺まひセシムルニ至ッテ、スナワチ極マル。」

博士は、国王に文字の危険性を訴えた。しかし、一流の文化人でもある国王は機嫌を損ね、自宅謹慎を命じられた。そして数日後・・・

 ニネヴェ・アルベラの地方をおそった地震だいじしんの時、博士は、たまたま自家の書庫の中にいた。彼の家は古かったので、かべくず書架しょかたおれた。夥しい書籍が――数百枚の重い粘土板が、文字共のすさまじいのろいの声と共にこの讒謗者の上に落ちかかり、彼は無慙むざんにも圧死した。

 

 いやー、いろいろと考えさせられる作品ですよ。いわゆるゲシュタルト崩壊とか、文字を覚えることの有害性とか。あと、本に押しつぶされて圧死とかいう学者的には腹上死的だよね、とか。

 これだと感想としてひどいので、何かまともなことを語ろう。

文字禍における文字を「スマホ」に置き換えてみても面白いかもしれない。ナブ・アヘ・エリバの文字への批判指摘は、そのまま現代のスマホへの批判になってしまう。

 自分が子どもの頃は「ゲームをすると馬鹿になる」と言われたし、自分の親の世代は「漫画を読むと馬鹿になる」といわれたという。明治時代を遡れば、新聞を歩きながら読むのが危険だとか、どっかで聞いた話だ。

 新しい「便利な道具」の登場は、いつ時代も有害性を強調されるものだ。文字もある意味、当時では新しい道具だろう。

 批判するのは勝手だけれども、新しい道具をなくすことはできない。「自然に帰れ」といっても原始時代に戻れるわけではない。我々に必要なのは、害を意識しながらも、道具と上手く付き合っていくことなのだろう。

 なんか総花的な結論になってしまいましたけど、終わります。

 自分も含めて、皆さんも寝床でスマホいじりすぎませぬよう。ブルーライトなる「スマホの精霊」に、やられますよ?