知の望遠鏡

文系教師と理系研究員の本の紹介を中心としたブログです。

お前は受験に落ちた回数をおぼえているのか?『科挙』

科挙―中国の試験地獄 (中公新書 (15))

冬休みが終わった。

忘年会もしたが、やっぱり今年が終わった気はしない。

なぜなら、もうすぐ、センター試験があるからだ。

受験が終わらなければ、肩の荷は降りない。

生徒も必死だが、我々教師も必死だ。

 

今でもよく授業中に話すが、

いつの時代も試験というのは厳しかった。

今の受験より、昔の試験のほうがよっぽどきつかった。

 

そんなこと話すとき生徒に紹介するのが、今回の本だ。

本書のタイトルともなっている「科挙」とは、中国の官吏登用試験である。

以前の中国では、「徳の高い人」を偉い人が推薦するという方法で選んでいたのだが、

これではどうしても縁故採用になってしまい、能力ないものが高い地位についてしまう。

そこで、隋唐ではじまったのが、身分に関係なく試験で役人を選ぶ科挙であった。

地方レベルの予備試験が何回か行われ、最後に選ばれし者が最終試験に臨み、

成績順で高い位についていく、とても単純明快な仕組みだ。

(宋代には、最後に殿試という皇帝陛下による最終面接も加わった。)

 

試験内容は、今のような国数英理社のようなものではない。

簡単に言えば、膨大な儒教の経典の丸暗記試験。

「◯◯の何ページの何行目に何と書いてあるか」みたいな。

(現代のアクティブラーニング(笑)も真っ青の知識偏重!)

こんな試験に受かって官僚になるのは至難の業。一発で受かるのはよっぽどの天才。

地方試験を突破するのに、何浪もしてしまうのが普通だ。

(白髪のおじいちゃんが受けに来ることもあったという。)

カンニングする奴もいたらしい(服の裏地にびっしり書いたカンペが残っている)。

 

では、なぜ、皆この試験に必死になるのか。

それは、科挙に受かって官僚になることができれば、

親子孫の3代が親戚一同働かずに生きていけるだけのお給料と賄賂が手に入るのだ。

だから、一族の中で見込みのある子どもに、財力の全てをかけて、優秀な家庭教師を雇って期待をかけた。(家庭教師の多くは地方試験レベルでとどまった浪人生)

 

だから財力のある家の奴が科挙に受かりやすかった。

結局、「身分を問わず」は建前で、実際に蓋を開けてみると、合格者は身分の高い官僚の子弟がほとんど。官僚になり、金を稼いで、その金で子どもを官僚にして、その子どもは・・・の繰り返し。

科挙の理想は実現しなかった。

 

今の時代も似たような状況だと聞いたことがある。

東京大学の合格者の平均所得はやっぱり高いのだ。

格差は再生産される、いつの時代も変わらない。

 

お隣の韓国や中国は、相変わらず受験地獄のようだ。

中国は、共産党員になれれば親子孫3代安泰で、共産主義も真っ青の格差社会

韓国は、浪人不可システムで受験に落ちたらお先真っ暗で、若者はエリートに対して不満を持つ。

これらの不満はどこに向かうのか。

 

受験というシステムを見ることで時代が見えてくる。

 

ポケモン厳選に熱を上げる生徒諸君に言いたい。

 

君たちも、社会から厳選されているのだ。