初めて彼女を部屋に呼んだ時に一緒に見るべき!『ドキュメント太平洋戦争』(涙腺崩壊!号泣必至!)
こんにちは。
今日は、僕のおすすめのDVDを紹介しようと思います。
それは「ドキュメント太平洋戦争」。
1992年に放送されたのNHKスペシャルのシリーズをDVD化したものです。
何かで見てすごい感動したのを覚えていて、ついに今回DVDBOXを買ってしまいました!(Amazonで2万円弱です、安い!)
そして、あとから気づいたのですが、NHKの戦後証言アーカイブスで全部無料で配信されていました。
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まっ、まあ、テレビで大画面で見ると、すごい迫力あるし、多少はね(震え声)
第6集まで、あって全部ここで配信されているので、皆さん、無料で見れるので、ぜひ観てください!僕は、内容を語ることはしません!(やけくそ)
おすすめは、第4集のインパール作戦です。
全体としては日本軍の組織としてダメっぷりがこれでもかと描かれていて、涙腺崩壊間違なしです!
女の子と一緒に見たら、いいムードになること間違いありません!
僕も、いずれチャンスがあったら、一緒に観てみたいなと密かに思っています。
では、また。
脳が創る感覚、そこに実体は在るか?ー『触れることの科学 なぜ感じるのか どう感じるのか』ー
茸氏、このところ小説書評が続いておりましたので、今回は理系本です。
感覚というものは人それぞれに異なるもの。
「私の視ている赤とんぼとあなたが視ている赤とんぼは、果たして同じ『赤とんぼ』なのか?」
否。
私が視ている「赤」を他人は「橙」と視るかもしれないし、逆もまた然りです。
これは視覚についての例ですが、嗅覚、味覚、聴覚、触覚についても同じです。
人によって感じ方(反応域)と感度が異なります。
このような知覚や認識というのは主観的な概念感覚でありますので、他人が客観的に評価することは非常に困難を極めます。
視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚。
今回はこの五感の中でもとりわけややこしい「触覚」についての内容になります。
触覚:熱い、冷たい、圧力、痛み、快感、痒みなど
各感覚についてはそれぞれの専用神経が用意されておりまして、種類は違っていても、やっていることは同じです。
各神経が受容した様々な外界情報を、脳の共通情報処理言語すなわち電気信号(活動電位)に変換し、脳へと送ります。
ただし、各受容器から情報が送られてくるだけでは、外界は知覚されず、受容器から送られてくる情報を脳が複合的かつ高次的な処理を施してはじめて感覚という認識が生まれるのです。
外界がどんな状態なのか?つまりは、環境情報を感知するのが、視覚、聴覚、嗅覚、味覚であるとするなら、自分がどのような状態にあるのか?を感知するのが触覚です。
一般的に、触覚というとまず思いつくのは、痛み、熱、圧力、痒み、質感などといった日常的に感じる感覚だと思います。
痛み、熱、圧力、質感、快感の受容に関してはそれぞれに対応した専用の神経細胞が割りてられ、皮膚の下に埋め込まれておりして、人によってこれらの神経終末(感覚センサー部分)の密度や発火頻度(感覚のボリューム)が違うため、感じ方が異なってきます。
面白いことに、触覚について痛み・圧力・温度・快感の感覚にはそれぞれ対応する専用のセンサーと神経繊維が配備されいることが判っているのですが、どうも痒みの感覚だけはよく判っていないようです。
「痒み神経からの入力で痒みを感じる」みたいな単純経路ではなさそうなのです。
どうも痒み受容体(センサー)も1つではなく、複数種類あるようで、おまけに痒み情報を処理する脳内ネットワークも複雑だと見られています。
この煩わしい感覚の究明は「痒いところには手が届かない」状態であるようですが、早く究明してほしいものです。
そして、脳に送られた触覚情報はまず視床でざっくり下処理された後、大脳皮質の情報元に対応する部分(感覚野)に送られて処理されて触覚として知覚されます。
筆者はとりわけ快感、愛撫感覚やオーガズムに関して多くのページを割いて科学的に解説しておりまして、まぁ、あまり生物学の教科書には載らない内容でしたのでなかなかに興味深いものでした。
この他にも、無意識下の触覚があり、実はこの無意識下の感覚が自己の確立に重要な働きをしております。
極端なことを申しますと、脳の仕事というのは、意識を作り出すことではありません。
感覚神経から入力される様々な外界情報を迅速かつ適正に処理し、筋肉(運動器官)に指令を出力し、反応行動を起こすことです。
神経系のメイン機能はこれでありまして、進化に伴う脳の複雑化と巨大化の結果、意識という複雑な情報処理の産物が生まれたのでしょう、オマケみたいなものです。
膨大な数の神経細胞が繋がった巨大な神経ネットワークの活動そのものが意識を生み出すのなら、現代のインターネット上にも意識のようなものが生じても可笑しくはないのかもしれませんね。
そういえば、『攻殻機動隊』にそんな感じの話があったと思います。
すみません、少々脱線しました。
無意識下の感覚が何故重要かと言いますと、末端からのフィードバックがなければ脳は「自分のカラダ」を認識できないからです。
脳が運動器官に指令を出力した後、筋肉が緊張しているのかor弛緩しているのか?皮膚は引き延ばされたりor圧力がかかったりしているのか?などの運動器官や体表感覚のフィードバックがないと、出力した指令が適切であったのかがわかりません。
常に身体位置のフィードバックがあるため、私たちは歩いたり、コップを持ったり思うままにカラダを動かすことができます。
結局は、脳が「触覚」として認知しない限り「触覚」という感覚は無いのも同じということです。
脳で感覚が生ずるということは、実際に感覚神経からの入力が無くても、脳が勝手に「感覚がある」と認識すれば当人にとってはそれが現実となります。
幻視、幻聴、幻肢痛などは脳のそうした勘違いが原因と言われています。
視・聴・味・嗅覚によって脳内に再構築された世界(外界)と、その中に触覚(身体位置)により輪郭のはっきりした個体を認識する神経ネットワークが自意識なのではないだろうか?
本書を読みながら私はそんなことを考えておりました。
世界の果ては折りたたまれて、世界の内側にもぐりこんでいるー「ペンギンハイウェイ」&「夜行」ー
読者諸賢、ごきげんよう。
一週間ぶりのご無沙汰である。
森見氏の小説といえば、京都を舞台に知的ではあるのだがなんだか面倒臭い腐れ大学生あるいはタヌキが主人公の物語が多い。
今回は京都が舞台でなく、腐れ大学生も主人公でないSF作品である。
森見氏のSFものは得体の知れぬものが背後にいるような、何か怪談の雰囲気があるように思える。
Science Fiction要素があるのだけれども、読み進めるうちに薄気味悪さも付随してくる。
○
『ペンギンハイウェイ』
夏。ミステリアスなお姉さんと知的な「アオヤマ」少年とのペンギンから始まる物語
アオヤマ少年はとても賢い。自分で賢いと言ってしまうほどに。
小学生にしては腹立たしいほど知的で論理的思考の持ち主であり、ある意味、理系の模範的思考形態の持ち主である。
そして、小学生という身分を利用して知的でありながら痴的な発言をする。
怒りそうになったら、おっぱいのことを考えるといいよ。そうすると心がたいへん平和になるんだ。ーアオヤマ少年、友人に語るー
大人が言うと犯罪だが、小学生だから赦される、まさに特権乱用の極みである。
本作にはおなじみ「黒髪の乙女」は出て来ないが「お姉さん」が登場する。
この「お姉さん」、「四畳半神話体系」の羽貫さんのような人物であるが、アオヤマ少年のおっぱい発言にも怒らず対応する大人物である。
お姉さんや少年のお父さんが少年を見守る姿勢があたたくていい。
時折、少年へと投げかける言葉には温かみがあり、また、読者の私も深く考えさせられるような台詞が多いのも本作の魅力である。
○
『夜行』
今回はジャケ買いであった。
表紙には白い服を着た清楚で可憐な乙女が描かれているではないか。
これは『夜は短し歩けよ乙女』のごとく、黒髪の乙女の物語に相違あるまい!と勢いで買うに至ったのだ。
はてさて、今回はどんな「黒髪の乙女」が登場するのかと期待に胸を膨らませて読み進めていったのだが・・・
なんということだ。
「黒髪の乙女」は出て来ぬではないか。
「黒髪の乙女」は出て来ないが「彼女」をめぐる物語である。
儚く美しいものはおそろしい。
あちら側へ誘う「彼女」。
語り手が複数人おり、交代して語られる構成なのだが、その内容がどうにも薄気味悪いのだ。
ホラーとまではいわぬまでも、モヤモヤしたものを抱えつつ読み進めていく具合である。
物語の核心は何か?を推理しながら読むうち、この薄気味悪さ感も後ろをついてくるのだからたまったものではない。
完全に作者の術中に嵌り、掌の上で弄ばれていたのだ。
さながら、百物語を聞いているようなものだ。
最後はオセロをひっくり返すような展開であり、納得のいく面白さではあったのだが、どうしてだろう?なぜだが私は少しゾッとした。
読み終えた後、森見氏は新しい境地を開いたのだと思った。
最近の『有頂天家族』や『恋文の技術』のようなポップでユーモラスな物語とは180度違う作風であったが、読んでいて非常に面白かったし、こうしたテイストの氏の作品に期待したい。
『夜は短し歩けよ乙女』に続き『有頂天家族』アニメ2期が放送されるようで、今年は森見作品を堪能できる1年となりそうだ。
前者のキャラデザは中村佑介、後者は『絶望先生』の久米田康治。
いずれも私の好きな作者であるので一度で2度おいしいとはまさにこのことである。
哲学を学ぶには『Century books―人と思想』シリーズがおすすめ!
教員になってから、倫理という科目を教えなければならなくなった。
専門的には、本当は世界史を教えたかったのだが、人が足りないというからしょうがない。社会科という教科は、結局オールマイティーにできなければならないのだ。
(今や地理・世界史・日本史・政治経済と何でもやらされている便利屋さんである)
倫理というのは、簡単に行ってしまえば哲学の歴史を学ぶ科目だ。
学生時代は全く縁がなかった科目で、勉強したこともなかったから一から勉強しなければならず、非常に大変であった。教える内容は、指導書・参考書の類を見ればわかるのだが、結局それでは教科書をなぞるだけで、面白くない。
「10教えるために100を知り、100を教えず10を教える」ことが授業の鉄則だと自分は思っている。
ゆえに、どのように周辺知識を深めていくか。
「これでわかる」系のダイジェスト本みたいなものも読んだ(これに関しては、また別の機会に紹介したい)。
それだけではやっぱり足りない。
そこで、発見したのが今回紹介する清水書院から出ている「Centurybooks人と思想」シリーズだ。
これは、著名な哲学者を人物ごとに焦点に当てて編集されている。
その人物にまつわる有名なエピソードがいろいろとまとめてあって非常に使い勝手が良い。
思想内容も、その道の専門家によって簡潔にわかりやすくまとめてある。
ほとんどハズレがないのが素晴らしい。
そんなに分厚くなくてサッと読めるのも良い。
あえて難点を上げるとすれば、本の規格が新書とも文庫とも言えない微妙なサイズ感で、ブックカバーとかが合わないぐらいだ。
ダイジェスト本みたいのを読んで、興味を持った哲学者が出てきたら、このシリーズから選んで読んでみると良いだろう。
ちなみに今回例として取り上げた『キルケゴール』だが、僕の好きな哲学者の一人だ。
実存主義の先駆者と言われるが、僕に言わせれば彼は「哲学界の絶望先生」だ。
基本的に豆腐メンタルで、とにかくいつも絶望してるし、あとロリ◯ンという救いようのない性癖の持ち主である。
そんな彼のエピソードが「真面目」に語られているのが、本書の面白いところだ。
生徒に言っていることだが、哲学者だって我々と同じいろんなことに悩み苦しむ人間なのだ。
ただの偉人の話と考えるんじゃなく、等身大の同じ人間として捉えることが大事だ。
まるで自分の「友達」のように、その哲学者のことが語れれば最高だ。
「あいつっってこんなところがあるんだぜ!」みたいに。
哲学者を知って、哲学者と「友達」になろう!
ちょっとめんどくさい奴らだけど、哲学者たちも君たちのことを待っていますよ?
茸氏、御朱印帳を持って、神社を巡る。
読者諸賢、ごきげんよう。
寺社仏閣巡りはいい。
寺社仏閣巡りをするために旅行をすると言っても過言ではない。
仏像を巡る旅も良いのだが語ると長くなるので、今回は神社についてである。
色鮮やかな社殿、長くその地に鎮座し古の歴史を感じさせる社殿を見て、鳥居と鎮守の森により外界と隔絶された聖域を感じさせる雰囲気を感じるのが良いのである。
○
社会人になってからというもの、いくつかの神社を巡った。
2年前に明治神宮で御朱印帳を買ってから一層神社巡りが楽しくなった。
御朱印帳が埋まって行くにつれ神々の力を分けてもらっているような気さえしするのである。
ようやく御朱印帳の半分が埋まった程度ではあるが。
RPGゲームで伝説の武具やアイテムを集めて行くような感覚に近いとも言える。
○
主な神社といえば、明治神宮、伊勢神宮、熱田神宮、諏訪大社、上・下賀茂神社、塩釜神社などである。
本当に神社全体、つまりは御神体たる山や森にあたかもそこに神々がおわしますような雰囲気を感じるのである。
現代人たる私ですらそこに神の息吹を感じるのであるから、古代の人々はそこを聖域として神を祀り神社としたのもよくわかる。
存在を固定化された神ではなく、その場所・空気というか雰囲気全体に神がいる、神の中に自分がいるという感覚だ。
古代の人々は自然=神と感じていたのであろうと現代人たる私は思いを馳せるのである。
↑諏訪大社 上社前宮:社殿からの後光に神々しさを感じた茸氏。
○
ところで、私の地元は広島県の瀬戸内海に面した街である。
そのため、厳島神社のある宮島へ出かけることはそんなに珍しいことではない。
ちょっとふらっと行ってくるというような感覚である。
地元の幼稚園~高校生の遠足の定番コースであるのだ。
なので、帰省した際にはよく厳島神社へ参拝に行くのである。
世界に類のない水上社殿はいつ見ても美しく、海面の大鳥居も干潮時と満潮時では違った美しさがる。
↑厳島神社大鳥居:社殿より撮影。向こうに見えるのは本州。夕暮れ時の満ち潮。
建立した平清盛公にはただただ感謝するばかりである。
参拝の後は、社殿後ろにある仏閣群へと足を運ぶ。
そこままるで、京都の箱庭のようである。
五重塔やお寺が密集している様はまるで京都のようである。
厳島神社の上にある五重塔を神社から見ると、社殿と五重塔がフレームに収まる絶景である。
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さて、今年はどこのお社に参ろうか?
出雲大社、京都伏見稲荷、鹿島神宮、春日大社のいずれかには参ってみたいものだ。
神社巡りの際には、その神社の由緒を知ってから参拝すると色々なことがわかって面白い。
なぜその神様が祀られるに至ったのか?社殿の造りや配置などマニアックなネタは尽きない。
そのあたりの歴史的な事柄については介氏の方が詳しいので、彼に譲る。